シニャの趣味部屋

アニメにガンダム、時々映画。好きなことを好きに書いていくだけのブログ。

できるだけ毎日21時に更新中。更新内容はプロフィールにあります。
アニメの感想と、マイクラが別ブログにあります。
どちらもリンクにありますので気になる方はご覧ください。

【機動戦士ガンダム 水星の魔女】グエルのことをどんどん嫌いになってるというお話【6話まで】

記事タイトルの通り、グエルが嫌いというお話です。

 

きっかけはこれ、

機動戦士ガンダム水星の魔女第1話より

温室事件です。スレッタが攻撃して決闘の理由となったやつですね。ここで“グエルがミオリネの大事に育てたものを破壊した”という行為が嫌いになる第一歩であった。

私はプラモデルを作り楽しんでいる人間でもあるので、人が大事に作った物を破壊する行為が生理的に受け付けないレベルで嫌いである。戦争はそんな行為だらけではあるが、それは両者同じである。壊し壊される、それが戦争。だから戦争物でも破壊行為は気にならない。「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」byルルーシュ ということである。

この時のグエルは反撃してこない、反撃できない自分より力の弱いミオリネに対して力を行使している。つまり、「そこのMP」(Zガンダム)なのである。「誰でもよかった」と言いながら自分より力が弱く反撃できない女子供を標的に無差別殺人を起こすような人と同じ思考だと思う。

よく比較されるがコーラサワーは全然違う。1話の後に書いた感想でもあるようにコーラサワーは性格が悪いわけじゃない。人のものを破壊したりしないと言える。あいつはアホで考える力もないけど、パイロットとしての腕と人間としてはしっかりできてるんだよ。

 

そして決定的だったのはグエルのプライド、第3話である。

ここでグエルは親の操り人形でしかないということが発覚する。つまり、親に反抗したくてもできない自分が嫌で、親に反抗できてるミオリネに嫉妬して暴力を行使したということである。もう人間としての評価は底値どころか人間の評価枠最下層を突っ切って落下していると言える。

キャンプしたりとしっかりした生命力を見せたり、禁止されてることをしてでも戦おうとしたりと、一定の戦闘力や反骨心を見せれば見せるほど、なぜ最初にそれをしなかったのか?という疑問が出てくる。そこまでのプライドがあるなら弱い者いじめを楽しむ猿山大将になる必要はなかったのではないか、ということだ。猿山大将として弱い者いじめを行っていたのはぐグエルの人間性の問題です。自分が嫌う親の力を存分に行使して楽しんでいたのはグエル本人、という所も嫌いな要素になってる。

ネットでよく見るこち亀のネタで、“不良が更生するより最初からまともな方がいい”というのがある。いくらグエルが更生したところで最初にミオリネが大事に育てたものを破壊したことは変わらない。しかも直すのも手下を送り自分ではやらない、謝罪も決闘の敗北を言い訳にして自分の意思では謝らない。そういう所もどんどん嫌いになる要素になってる。

一番嫌なのはこのあともしっかりグエルが出てくることが確定していること。番組的にグエルは底辺から成り上がるヒーローみたいにしたいんだろう。自分が一番嫌いなキャラが活躍確定な時点で相当苦しい部分はある。まぁ多分見ていくとは思うけど、グエルの不快さが番組の楽しさを越えた時見なくなるだろう。そうならないことを切に願う。6話時点で私のグエルの評価は即時退場して欲しいレベルである。

たぶんグエルが嫌いすぎて坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという気持ちになってるんだと思う。何をやっても気に入らないんだろう。ただそれは最初の温室破壊事件がスタートなので覆水盆に返らずということでもある。もう少しうまい演出で、あそこで私がグエルを嫌いにならなければもっとこの作品を楽しめたのにな……という思いが強い。